青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

#1 出発と到着(まえがき)【ヨウヒッコを追ってフィンランドに住む話】

(2022年9月13日)

明日またフィンランドに行ける。

ここ数年の、他人にひけらかすほど悲劇的ではないにしても、黙って受け流すには重すぎる息苦しさ、もどかしさ、歯がゆさから、やっと解放されそうだ。

喜ばしいことに違いない。しかし不安な気持ちも消えない。

ヨウヒッコ。

不穏な時世に人生を捧げるほどのものなのかと、前日になって自らに問う。

不穏な時世だからこそ捧ぐに価する。

どうであれ、明日になれば飛行機は飛ぶ。

 

(2022年9月14日)

フィンエアーに乗るために名古屋から成田空港に向かう。

成田エクスプレスにはほとんど客が乗っていない。

予約済みの最前列に座る。

スーツケース置き場を視界に入れて、長澤知之の音楽を無理矢理耳に流し込む。

途中で乗ってきた女性の大きなスーツケースと僕のスーツケースが、電車に揺られてぶつかり合う。設定が面倒くさそうな電子ロックを使わなかったせいか。お互い様。

初めて成田空港に足を踏み入れる。空港という場所にそれほど親しみはないから、何に対してどぎまぎしていいのかもよく分からない。

予め用意しておいた円を、両替所でユーロに換金する。「今ここでlineのメンバーになるとお得です」。言われるがままにメンバー登録する。明細を見てもひどい円安に目を奪われるだけで、何がお得になったのかよく分からない。問う気は起きない。

とにかく飛行機に乗らなきゃいけない。フィンランドに着かなきゃいけない。そして在留許可を取らなきゃいけない。

 

どこの国の人であれ、フィンランド入国後に在留許可を取得することはおそらくあんまり推奨されていない。出国前に自分の国で申請して許可を得るのが正道だろう。

僕は諸事情により少しの例外に賭ける他なかった。

(結果的には温かい手助けと小さな奇跡のおかげで、無事にフィンランド国内で在留許可を取得することができた。この件についてはもしかしたら誰かの役に立つかもしれないので改めてまとめてみたい)

 

夜だから空港の飲食店はどこも開いていなかった。

自販機のオレンジジュースで空腹を満たして飛行機を待つ。

思ったより色んな国の人たちが居る。

 

フィンエアーは6年前と異なる趣を放っていた。

室内が仄かに青い。日常から隔絶した時空に感じる。

飛行機とはそういうものか。

夕食はかつ丼だ。

飲み物を英語で問われるも声が届かず、試しに「クーマテータ」(熱いお茶)と言ってみる。

通じたらしい。

でももう少し丁寧に言えばよかった。

ロシア上空回避ルートを進む飛行機は、全くと言っていいほど揺れなかった。

ときおり聞こえる機長の落ち着いたフィンランド語は、この異質な時空を補強しているように感じた。

いずれにしても姿勢が定まらずぐっすり眠ることはできない。

飛行機とはそういうものか。

朝食はサンドイッチに、ジャガイモ、ニンジン等。コーヒーをすすって気分を仕切り直す。

外はまだ真っ暗だ。

 

(2022年9月15日)

午前3時45分頃、ヘルシンキ・ヴァンター空港に到着した。

入国審査で「フィンランドの民俗楽器ヨウヒッコの勉強に来た」と言うと、審査官はネット検索を始めた。

ヨウヒッコとは何かを彼なりに即座に理解したような素振りを見せた後、その無骨な表情が少し和らいだような気がしなくもなかった。

グッドラック。

お互いにね。

 

荷物受け取り場には十数名の客しかおらず、静まり返っていた。

各々が各々の荷物を手に取って、各々の道に踏み出してゆく。

とてもありがたいことに、6年前の恩人であるツテさんが空港まで車で迎えに来てくれることになっていた。(ツテさんに関する記憶:【フィンランド滞在記14】 ロビーサにて - 青い梟の輪郭

ツテさんを待つ間にキオスキでsimカードを買った。

フィンランド語で誰かに何かを聞いたら、流暢なフィンランド語で返ってくる。

という当たり前のことを、キオスキで学んだ。

外は寒く、まだ時間があったので、開店前のレストランの椅子とテーブルを借りて、行き交う人を眺めていた。

空間全体に広がる独特の匂いに強烈な懐かしさを憶える。

6年前のちょうど同じ時期、ツテさんがレストランを営むロヴィーサの町を後にして、僕のフィンランド滞在は幕を閉じた。

二度目の滞在をロヴィーサから再開できることを幸運に思う。

 

午前7時頃、ツテさんは思い出深い人情味あふれる所作で現れた。

再会を喜び、温かい車に乗り込み、ほっとした途端、飛行機による身体へのダメージが思いのほか大きいことを自覚した。

風邪のような症状。下痢はいつものこと。

ロヴィーサにあるツテさんの家に着いて、変わらず美味しすぎる料理でお腹を満たした後、リビングにある大きなソファーで眠った。

きっとなんとかなるだろう。

たまに起きてはそう思い、また眠った。

それ以外にできることは何もなかった。

隣の椅子の上では、ツテ家の愛猫ポヴォが気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 

午前5時のヘルシンキ・ヴァンター空港(出発ロビー前)