青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

新年

2017年に気がついたことまとめ

【生きているのであれば、あとは何してたって大差ない】

大声出したり動き回ったりして何かした気になるのは勘違いだ。

陰に隠れたり独り言に埋もれたりして何もしてない気になるのも勘違いだ。

どちらもあんまり変わらない。

ただ、それらの営みが自分や誰かが生きることを脅かしてるのなら、どうにかした方がいい。

どうにかできなくてもどうにかしようとすることにきっと意味がある。

しかし、どうにかしようとさせない環境もあるから気をつけよう。

 


【子どものことを外から眺めてああだこうだと言ってても教育は変わらない】

隠れて眺めているつもりか知らないが、子どもはあなた達がそこに居ることをよく知っている。

あなた達が受け取るどのような言葉や振る舞いもあなた達という存在ありきのものだ。

しかし、あなた達は子どもの「純粋な声」を黒子として代弁するのだと誇らしげに語る。

子どもの居ないところで、子どもに分からない言葉を使って、子どもについて話し合うことに果たして一体どういう意味があるのか。

子どもを馬鹿にするな。



【「枠」に優劣はない】

こちらの枠の意義をあちらの枠に伝えようとする場合、共通の言語が必要となる。

共通の言語が新たに模索されない限り、不毛な争いが延々と続く。

古い枠は、新しい枠に対して「古きを敬う謙虚さ」を求める。

新しい枠は、古い枠に対して「新しきを迎える謙虚さ」を求める。

相手の変化を望んでいるだけという点で、どちらもあんまり変わらない。

新しい何かは、その次元の先にある。

 

2018年へ

何かを否定することが存在意義であるというのは、どこか虚しいことだ。

僕から見て、あなたはおかしなことをやっているとしか思えないが、もう知ったこっちゃない。

というのは、あなたを否定する僕に対しての言葉でもある。

あなたも僕も、いつまでもそこに居たいのならずっとそこに居たらいい。

僕は嫌なので別のことをやります。

さようなら。


そして、こんにちは。

2018年。

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