【自然との対話についての対話2】のどが炎症
正確には、そう言ってるように見えた。
だから妄想じゃん。
目の前に相手がいなければ生じなかったであろう言葉という意味では妄想ではないと思う。
いや、単純な問題として、アゲハチョウは言葉を話さないでしょ?
でも、人間にしたってさ、誰かが発した言葉って、それを聞く誰かありきなんだから、結局は聞く側の問題でしょ。聞こえたなら聞こえたってことになる。だったらアゲハチョウの言葉だってありうるじゃないか。
そんなのは滅茶苦茶な話だよ。何にも話してないのに、あなた今こう話しましたよね?とか言われても困るでしょ。
でも実際、それを商売にしてる人たちって結構いると思う。「のどが炎症起こしてますね」とかね。のどは「炎症起こしてます」なんて一言も言ってない。
医者を敵に回すのはよくないよ。
別に敵に回してない。言ってないことを聞いてもらうことが救いになることもあるってことを言いたいだけ。その逆もまたしかりだけど。とにかく、アゲハチョウから何かを聞くということも、ない話ではないでしょ?ってこと。
そうなのかな。「炎症が起きてる」とかはちゃんとした尺度で測った上で成り立つ客観的な事実だと思うけど。虫がこう言ってましたっていうのはどうも主観的すぎる気が。
尺度も結局は1人の聞き手であって、それ以上の何かではないよ。
いや、でも、君よりは優秀な聞き手でしょ。
どういう意味で?
たとえばレモンの木のことだって、何々が足りてなかったから枯れたんだって感じで分かるかもしれないじゃん。
それが果たして優秀ということなのか。
同じ失敗をしないように、次に生かすことができる。
その発想自体がもう尺度にやられてる。というかレモンの木が枯れたことも失敗だと思ってんの?
そりゃそうでしょ。
だから、それは違うって。成功とか失敗とかって話は違う。何事もそういう話になりがちだけど、よく考えてみればおかしなことなんだよ。生きてる限り、成功も失敗もなにもない。あのアゲハチョウが言ったことがすべてだ。
そんなこと言ったってこの世は成功と失敗に満ち溢れてるよ。
それを当たり前のことのように言われると腹が立つ。そんなもんこそ妄想だと早く気が付けよ。どいつもこいつも真理みたいに言いやがって。
なんで急にキレてんの。
「この一週間、失敗せずに上手く過ごせましたか?」って、人をなんだと思ってるんだって話だよ。馬鹿にしてるとしか思えない。
よく分かんないけど、それは君のためを思って言ってくれてるんじゃないの?不幸よりは幸せな方がいいでしょ?
相手のためを思ったときに出てくる言葉がそれだとしたら、世も末だよ。
例えば、痛みや苦しみを取り除こうとすることも間違いだと言いたいの?
それだけが正しいみたいに言われるのが嫌だ。痛んだり苦しんでる状態を悪いものと決めつけるのは、なんか違う気がするから。
ほんとに苦しんだことがないからそんなことが言えるんだよ。
そうかもしれない。でも、ほんとに苦しんだ人の苦しみほど、苦しみなんて言葉には収まりきらないほど大きな意味を持ってる気がする。それは単に悪いものなんてレベルの話じゃない。大事なのは、その人にとってどういう意味なのかってことだ。
だったら、今回のこともレモンの木にとってどうかって話になるわけ?
そう思う。だから、聞くしかない。尺度なんかに頼らずに。
ちょっと待った。その理屈だと、つらい状況にいることに気が付いていなかったり、それをポジティヴに解釈しちゃってる人は放っておけばいいってことになるけど、それでいいの?
だから、つらい状況っていう決めつけをまずやめろって言ってるんだよ。
いちいちキレないでよ。とりあえず理屈は分かったよ。納得はできないけど。で、尺度に頼らず聞くって具体的にどうすりゃいいの?
(つづく)