青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

【カラマーゾフの兄弟に学ぶ ①】 「成長」なんてありえない。

今なお色褪せることのない、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と、ドストエフスキー研究から独自の対話論を描き出したミハイル・バフチンの『ドストエフスキー詩学』。勉強の一環として、両者への学びを踏まえた対話をしてみることにした。この対話はいつまで続くか分からない。とりあえずイワンらしき人物とアリョーシャらしき人物に任せてみたいと思うので。

 

「『カラマーゾフの対話』ってのはジャムセッションみたいなものだ。ポリフォニーと言う奴もいるようだが、現代ではジャムセッションか、あるいはモダンジャズと言うべきだ。お前は聴いたことがあるか?俺はある。というより実際に参加したことだってある。いいか、俺はその中に入ったことがあるということだ。バイオリンを片手にな。もっともそのときはまだ俺もたいした腕前じゃなかったから、どちらかと言えば恥をかいて終わったが。まあその話は今はいい。重要なことは、俺が今は気が付いているということだ。それを実際にやっていたときには気が付かなかったことに。つまり、こういうことだ。俺は最初それに対してなんの魅力も感じていなかったんだよ。いや、それじゃない。正確にはそれらだ。ジャムセッションモダンジャズも『カラマーゾフの兄弟』も、それらが何をしているのかまったく分からなかったんだ。何をしているかってのはつまり、小説や音楽ってのはふつう一方通行で展開しながら前に進んでいくものだろう?ひとりの人間が成長するように、その物語そのものが成長していく。だから終わった後には、ひとりの人間の一生を振り返るように物語として理解することができる。そりゃもちろん読み返してみることで最初とは違った理解に至ることもあるだろうし、何度読んでみてもいまいち理解できないこともあるだろう。ただ、理解の対象として、そういう伝記的なベクトルがあることは確かだろう?しかし、『カラマーゾフ』には、そういう意味での理解が全く通用しない。というのも、俺は気が付いたんだ。いいか?大事なのはここからだ。それらを見るにあたって重要な観点は「成長」じゃない。「変化」なんだ。これが「対立」でないってことも肝心なんだが、まあ今はいい。とにかく前から後ろに進むんじゃない。そういう方向自体がないんだ。あるのは変化と交代だけ。それでいて最も重要なことは、そこに居るすべての奏者は絶え間ない変化の中にあって、「最後の言葉」ってのを探し続けてるってことだ」

 

「兄さんの言うことは、なんとなくではあるけど、分からなくもないです。でも、成長しないというのはどういうことですか?僕だって兄さんだって、そりゃ立派とは言えないかもしれませんけど、あんなことがあってやっぱり成長したじゃありませんか?そうでしょう?」

 

「“お前”や“俺”はそうかもしれない。ただここで話してるのは、そういう個人のことじゃない。奏者一人一人が新たな技を携えること、技術的に向上することを伝記的に捉えて成長と呼びたいなら勝手に呼べばいい。でも俺が言いたいのは、ひとりひとりのことじゃないんだ。いいか?セッションの最小単位はなんだ?音色だろ?ここでもしセッションという"全体”を前提にしたならば、見えるのは変化したり交代する音色だけってことになる。それらが誰の音色かなんてことは問題でもなんでもなくなるんだ。だからここに個人の成長なんてありえない。じゃあ『カラマーゾフ』における音色とは何か。言葉だ。俺たちは所詮、行き交う数多の言葉が気まぐれにその身を宿す器にすぎないってわけだ」

 

「確かに僕たちはがむしゃらに言葉を投げつけあってきただけで、何も成長してないのかもしれません。でも、その、自分が何を言ってるか分かってるんですか?成長しないってことはとても恐ろしいことだってこと」

 

「ちがうんだ。お前はただ囚われているだけなんだよ。その、成長って言葉に。例えば、お前、何かが成長するところを見たことがあるのか?本当に?そもそも“個”なんてものは存在しないんだ。よく考えてみろ。一体何なんだそれは?俺はそんなもの一度も見たことがないね。花にでも聞いてみりゃ分かるさ。あなたは"個”ですか?って。崖っぷちに咲く一輪の花でさえきっとこう言うだろうさ。「あなたたちは分けるのが本当にお好きなんですね」ってな。いや、この場合は「あなた」の方がいいかもな、皮肉っぽくて。分かるか?つまり、成長だとかなんとかほざいてるのは人間だけってことだよ」

 

「……でもそれだと、花も「最後の言葉」を探してるってことになるんですか?これはどういうことなんでしょう。セッションの例は分からなくもない。最後、つまり、ユニークで新しい旋律とかそういうことですよね?そういうのを求めて音色は変化と交代を繰り返す。僕たちもまた新しい言葉を求めて対話を続ける……。これがなぜ成長と結び付かないのかまだ分かりませんが。でも、とにかく花や虫にとっての「最後の言葉」とは何なんですか?それは、進化とも関係があるのかな……」

 

「進化!そうさ、俺が言いたいのはそれなんだ!変化と進化!いいか、アリョーシャ、進化ってのは成長モデルなんかにゃ収まらないんだ。これは俺の神が言ってることだから間違いない。俺の神ってのはつまり、俺が信じてるひとつの世界ってことだ。信じられるものが神なんだろ?信じられるという位置にあるものが。まあ、その話はあとにしよう。お前にとってはこっちの方が重要なことかもしれないがね。まあ、つまりだ、進化というのは、なにかこう、下から上へのぼっていくようなそんなありきたりな構図じゃ説明しきれないんだ。学年なんかと一緒にする奴がたまにいるが俺から言わせりゃ正気の沙汰じゃないね。あるいは子どもから大人への進化と、そう言うんだ、奴らときたら。全く話にならない。ふざけた世の中だよまったく!」

 

「でも、どうして、兄さんはどうしてそんなに自信があるんです?僕には、その奴らも兄さんもあまり変わらないように見えます」

 

「馬鹿言え!俺と奴らが同じだって!?そう言うのか?……いや、しかし、そうかもしれないな。奴らもまた何かを信じてるだけなのだとすれば。奴らはただ成長モデルに冒されちまってるだけなんだ。お前もさ、アリョーシャ。俺は、しかし、成長モデルにはやられちゃいない。いや、もちろん、やられていた時期もあった。でも今は違う。そう、抜け出したんだ。」

 

(つづく)