青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

一人で雑談(やりたい音楽について)

ムーミンに出てくる「ちびのミイ」的な対話相手を想定して一人で雑談。
雑談ほど生産的な対話があるだろうか。いや、ない!

 

 

結果から言うと、「わびさび」へのステップとしての音楽がやりたいと強く思うようになった。

 

意味が分からないわ。

 

「わびさび」に近づきたいってこと。

 

「わびさび」って静かな世界にある美しさみたいなものでしょ?でも楽器はうるさいものよ。

 

いや、そうとも限らないよ。たとえば秋虫の鳴く夜なんてのは、、、

 

ていうかあんた、ケルト音楽とかやってたじゃない。あれはどうしたのよ。

 

ケルト音楽をやることは少なくとも自分の使命じゃない気がして。

 

格好つけたこと言って、本当はアイルランドで本場を味わって、それで諦めたってだけでしょ。みっともないわね。

 

確かにアイルランドでは打ちひしがれた。届きようがない世界。こんなにもレベルが違うのかって。ただ、これがアイリッシュなんだという衝撃は、アイリッシュというものはこれ以上のものではないんだという発見でもあった。で、そのとき思った。僕ら日本人にしかできない音楽も必ずあって、それはアイリッシュに匹敵するんだって。

 

随分失礼な言い方ね。アイリッシュの歴史に比べたら、あんたのバイオリンなんて蚊ほどの存在感もないわよ。身の程を知りなさい。

 

蚊どころかミジンコ以下かもね。ただ、蚊もミジンコも懸命に生きてる命なんだからそういう喩えはよくないね。アイリッシュの歴史も蚊の歴史と比べたらたいしたことないわけだし。

 

あんたのその小さな生物至上主義みたいなのはもう聞き飽きたわよ。だったら蚊みたいな音楽でもやったらいいじゃない。

 

そういえばオーケストラに居たとき、その蚊みたいな音やめてくれない?って注意されたことがあった。あんとき言ってやればよかった。蚊の歴史なめんなよって。

 

くだらないわ。

 

いやまあ、ともかく、ディドリックの前でアイリッシュを弾いてたとき、彼は僕の弾き方をジャパニーズスタイルだなと言い、僕の音を書道みたいだと形容した。それはとても印象的な言葉だった。そういうことがあった上でのアイルランドだったってのもあって、そう感じたってこと。

 

ディドリックってフィンランドにいたあのターザンみたいな人ね。

 

彼が僕のバイオリンに見出してくれたものは上手いとか下手とかそういう技術的なことじゃなくて、、、

 

おかしいわよ。あんたがずっと練習してたのってアイリッシュなんでしょ?それを聴いて日本の弾き方だねって言うなんて。

 

でも、それは何故だかものすごくしっくりくる言葉だった。ああ、そうか、確かにこれは日本的な何かに違いないって。

 

何かって?

 

分からない。けどそれが「わびさび」へのステップになるんじゃないかって思う。いや、ステップへのステップかな。

 

まどろっこしいわね。結局、どういう音楽をやるつもりなの?具体的に言いなさいよ。

 

スズムシの鳴く秋の静かな夜みたいな、、、

 

スズムシが鳴いてるのになんで静かなわけがあるのよ。あんたスズムシの隣で寝たことないからそんなこと言えるのよ。

 

なくはないけど。昔、家の中で飼ってて増えすぎて困った。

 

困ってるじゃないのよ。

 

それでも、うるさいと思ったことはないよ。曲にもよるけどアイリッシュの方がうるさい。まあ、そのうるささが楽しさなんだろうけど。

 

でも、スズムシの鳴き声で踊れると思う?無理だと思うわ。だってあの子たちの歌にはリズムがないもの。

 

リズムがないというリズムはあるけどね。

 

そんなのリズムじゃないわよ。あの子たちとずっと居るとだんだん自分がグラグラしてきて、どこに居るのか分からなくなって、踊りどころじゃないもの。

 

それって実は踊ることで行き着く先と同じなんじゃないかと思う。

 

踊り疲れてグラグラするのとは違うわよ。

 

存在がグラつくってことでしょ?個なるものの溶解というか。それで、日本には最初から、スズムシを単なる雑音でなく趣きあるものとして認識する土壌がある。それはとんでもないことなんじゃないかって思う。

 

今の子たち、スズムシなんかに興味あるかしら?

 

あると信じたいけど、スズムシのよさが伝わる環境は減ってきてるかもね。色んな意味で。

 

例えば?

 

一概には言えないけど、スズムシの鳴き声に耳を傾けるほどの余裕は現代人にはないんじゃないかって。

 

昔の人だってあったかどうか分からないじゃない。

 

それもそうか。確かに、呑気にスズムシの鳴き声聴いて「風流だね」なんて言ってるのは「わびさび」でもなんでもないかもしれない。

 

じゃあどうやって聴けばいいわけ?

 

分からない。けどたぶん、ただ聴くってだけじゃ駄目だ。聴かずに聴かなきゃいけない。それが本当の意味で聴くってことになる。

 

それって結局、一緒に踊るってことじゃないの?

 

踊りはひとつの答えかもね。でも他の答えもある気がする。だってスズムシの歌じゃ踊れないんでしょ?

 

なんだかめんどうな話になってきたわね。

 

というわけで今日はここまでにしよう。

 

歯切れが悪いわね。

 

歯切れのいい会話なんてこの世にあると思う?

 

もういいわよ。