青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

Communicative Musicality について考える研究会(名古屋)

 

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あらゆる生物のあらゆる営みは、音楽的である。

 

あらゆるってのは無理があるんじゃないの。

 

コミュニケーションそれ自体が音楽的だと言いたいわけよ。

 

音楽的じゃないコミュニケーションだってたくさんあるでしょ。

 

例えば?

 

つまらない会話とか。

 

つまらない会話みたいな音楽って山のようにあるじゃん。それでも音楽的じゃないと?

 

いやいや、もっとこう、長い沈黙とか、ああいうのは音楽も何もないでしょ。

 

ジョン・ケージは音楽だと言ったけどね。

 

あれは、またちょっと違うでしょ。

 

そう?違わないんじゃないの?

 

いや、気まずい相手と一緒に居るときとジョン・ケージは違うよ。

 

まあ、違うなら違うでもいいけど、だからといって音楽じゃないとは言えないでしょ。

 

そういうものなのかな。音楽ってなんだかんだで美しさを志向するものな気がするんだけど。

 

ああ、それはそうかもしれない。コミュニケーションもなんだかんだでそういうものな気がする。実際、長い沈黙をどうにかしたいと思ったり、もしくは、相手によっては沈黙の居心地がよく感じてそれを持続させようとしたりするわけでしょ?気まずい相手だって、どうにかして流れを変えたいと思うはず。

 

じゃあ、それが音楽ってことでいいの?そういう志向性が?

 

いや、それが音楽とは言ってない。音楽とはそういうものかもしれない、とは言ってる。

 

何言ってんの?

 

標本とか見たことある?

 

昆虫とかの?あるけど、それがなんなの。

 

あれって、どう思う?

 

何が?沈黙の話から続いてんの?標本も音楽だとか言いたいの?

 

あれが音楽でないと言い切ることは難しいと思うけど、でも音楽性は感じない。

 

音楽性?音楽性と音楽は違うものなの?

 

あとさ、音楽って聴く人ありきでもある。

 

だったら何なの。標本も見る人次第ってこと?でも音楽性はない?

 

知らん。

 

すごい無責任だね。

 

とりあえず、研究会の告知します。

 

こんなわけわかんない会話で告知になると思ってるってのはどういう音楽性なわけ?

 

それ、おもしろい。

 

こういうことを話すってこと?この研究会は。

 

こんなに適当な感じではないだろうけど、各々が持ってるであろう広い意味での音楽的な経験とか考えとか、そういうのが対話を織り成し、コミュニケーションと音楽性についての考えが深まるということは、目指すべきポイントのひとつではあるかもしれない。

 

なんか難しそう。

 

難しそうとか言って対話をやめることこそ無責任だ!

 

なんで急にキレてんの。

 

すまぬ。難しく話す方に非がある。まじですまぬ。

 

え、なに、情緒不安定なの?

 

なんかちょっと難しいような気もするけれど、すごく大事なことを言ってる気がする。だから誰にとっても聞かずにはいられない。そういうものを私は目指したい。

 

すごい大きな目標だね。まあ、大事なのは心だよね。

 

音楽性とは心にあたる何かだ、と言えるとしたらどう?

 

それはなかなか面白いかも。