青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

セールスとムーミンママ

先日、しつこい訪問販売の相手をした。

そのおじさんはなかなか本性を見せなかった。

豊富な定型文であたかも今ここで自ずと生まれてるような会話を装い続けた。

でも、お互い最後は結局、人だよ。 

 あなたの言ってることを聴くのは僕だ。

なのに、こちらの言ってることに応答するのは、あなたじゃなくてマニュアルだ。

これを会話というなら世も末でしょう。

せめて、その物に対するあなた自身の思い入れを熱心に語るべきでは。 

あなた自身のストーリーをあなた自身の言葉で語られたら、そりゃこちらとしても素直に相手をせざるをえませんから。

 

腹を割って話そうとこちらがそちらのドアを開けようとした途端に、もういいですと半ギレになって書類を片付け始めるもんだから驚いた。 

勝手に人んち上がり込んできて、こっちはあんたんちに上がり込めないとか。

そんな馬鹿げた話があるかい。

 

そういえばフィンランドに居たときに、ある日突然、屈強な男がキッチンに土足で上がり込んできて、はにかみながら名乗ったかと思うと、流し台の排水管のネジを力強く締めて、もう大丈夫だ!安心しろ!とだけ言い残して颯爽と去っていったことがあった。

彼はジョアキムの知り合いで、キッチン周りの修理と調整に来たことは後になって知った。

あのとき彼を突き動かしていたのは何か。

人情だ。

同じように家に上がり込んでくるのでも、人情で動いてるのと、金目的のマニュアルで動いてるのとではまったく違う。 

人情派は、ときに謙虚に、しかし、誰にも媚びることなく自分の体験に根差した言葉を語る。

利益派は、恥じることなく死んだ言葉を使って他人に媚びる。

 

なら後者はどのようにして前者の心を取り戻しうるのか。

 

あの訪問販売のおじさんに対して、ムーミンママだったらどうしただろう。

ムーミンママは、コーヒーでもいかが?と笑顔で招き入れたかもしれない。

そして、おじさんは、いつの間にかセールスマンでもなんでもないただのひとりの人として、コーヒーを味わいながら居心地良く過ごしていたかもしれない。 

 

ムーミンの世界には、取り繕ってマニュアルで語るキャラクターなんて一人もいない。

誰もが自分に正直に、自分の言葉で生きている。

それは何故かを問うことはたぶん賢明じゃない。

あの世界には、自分に正直であることが必ずしもよくないという、日本だったら疑いようのないような前提が、少なくとも当たり前のようには根付いていない。

 

一方で、ムーミンママの謙虚さは、こちらの文化からじゃないと見えないもののような気もする。

彼女は確かに相手に気を遣い、相手を生かしている。

それは相手ありきの話であって、自分に正直どうこうの話じゃない。

 

この両側面を矛盾なく説明するためには、相応の方法が必要になってくるだろう。

 

ともかく、誰もが正直に生きつつも確かに共に生きるということが成り立っているムーミン谷は、ある程度の問題を孕みつつも、自然環境を前提とする人間社会にとってのありうるべき理想だと思えてならない。

 

おもしろいぞ。やけにおもしろいぞ。