青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

片付けてやる

ここのところ部屋の片付けしかやってない。

たまに片付けの美学を熱心に語る人がいるがまったく理解できない。

こんなこと仕方がないからやるだけで誇ることじゃない。

そもそも部屋なんて混沌としていた方がいい。

あってはならないものがある部屋なんて面倒くさいだけだ。

まあ、こんな感じで片付けられない美学を語ることもまたみっともないことだ。

 

 

そろそろ来年に向けて勉強を始めなきゃいけない。

なんだかんだで教育学に戻ることになりそうだ。

教育学ってわりと恐ろしい。

ナウシカに出てくる「墓所の主」みたい。

 

 

勘違いしないでおくれ。私たちは現代の子どもたちがよりよい未来を築いていくことができるように万全な準備をしているのだ。私たちが道を指し示さなければ子どもたちは路頭に迷ってしまう。これは古くから受け継がれてきた、私たち大人の使命なのだ。

 

 

どんな理想があろうと「現代の子ども」なんてどこをどう探したっていないので、根本的にズレてるとしか言いようがない。

みんなちゃんと名前があって、それぞれにかけがえのない世界を生きてる。

そういう意味では「子ども」だとか「大人」だとか区別することも馬鹿馬鹿しい。

 

いくつかの分野ですでに気付かれつつあることだが、「現代の子ども」と同じで、客観的な視点を持つ「研究者」なんてのもどこをどう探したっていない。

長い間その視点は真だと信じられてきたわけだけど、そんな非現実的な視点から見えるものは夢よりも虚ろな死んだ世界でしかない。

 

だとしたら教育学なんて成り立ちようがないじゃないかということになる。

そう、そんなものが成り立っているから恐ろしいんだ。

 

いざ参らん。