【フィンランド滞在記16】 気付いたら帰国してた。
アイルランドを1週間かけてレンタカーで1周して、疲れの取れぬままマンドリンの郵送やら荷物の整理やらでバタバタして、また必ず来ますと約束してツッテさんと別れ、土産を買わなきゃとヘルシンキに二泊して歩き回り、気が付いたらもう帰国してた。郵送した荷物も来た。フィンランドの小さな町から送った15キロの段ボール箱が日本の小さな町に3日で来た。すごい時代になったものだ。
アイルランドの旅については、また改めて記したいところだけど、とにかく、せめてアイルランドに住むということでもしない限りアイリッシュそのものを弾くことなんて到底できやしない、と気付かされたことが最大の意義だった。あの音楽は文脈ありきだ。外部の人間には届かない。
このことが分かってとてもすっきりした。そもそもそんなにちゃんとアイリッシュを弾けてたわけじゃないけど、アイリッシュから解放されたような感覚を、特にフィンランドに戻ってきてツッテさんとセッションしたときに強く感じた。
こっからはもう自由だ。好きに弾くぞ。
ところで、色々な観光スポットを見て回って知識を得ることが好きな友人は、僕のフィンランドでの滞在について「所詮2ヶ月同じ場所に居ただけでしょ」と言う。
確かにイハラに居た2ヶ月間、観光スポットに行ったわけでもないし、文化や歴史に触れたわけでもない。そこに観光スポットの持つそれのような分かりやすい意義を見出すのは難しい。
あの日々はなんだったのか。
ひとつだけ言えることは、イハラというシステムの内側に居た身からしたら、「所詮2ヶ月間同じ場所」なんて括りはまったくこれっぽっちもしっくりこないということ。内側からと外側からじゃ見えるものが違う。内側から見えるものを知っているのは僕だけだ。
そう言うとかけがえのないように思えるけど、おそらく友人は、たとえばそれがどれほどかけがえのないものであっても、僕以外に誰もそれを知り得なければ対外的な意味や社会的な意義はないでしょと言いたいのだろう。
そりゃそうだ。
僕の細かい振る舞いや言動がそれを経たからこそ変わるということもありえる。でも、そんなことはいつでもどこでも誰にでも起きてることで、まったく特別なことじゃない。
だから、経験を糧に何かを生産する必要がある、と友人は言う。
そりゃそうだ。
これからも研究と音楽を続ける。最初からそのつもりだ。
ちなみに個人レベルにおいて言えば、フィンランド滞在で得た最大の成果は、それまで自分が生きなくても生きられる環境で生きていたことに気が付いていなかったことに気が付けたことだ。
たくさんの自由な声がひしめき合う中で、食べて動いて笑って寝る。
そんな日々の中で、無意識的にいつの間にかしまい込んでしまっていた大切なものが自ずと解放されていく気がした。それはおそらく生きるために必要なもので、生きないためにはあまり必要でないものだったのだろう。
狂気じみたジョアキムの遊び心、インカの高い柔軟性と確固たる理想、ディドリックの奏でる森のような音楽、ポーリンナの哲学的な姿勢、平和に寄せるティモの穏やかな想い、サリーが抱く現実と理想とのギャップ、エスポーで見たヒッピーたちの笑顔、カドリーの底意なき心遣い、即興音楽そのものとしてのユーゾの手料理、ロビーサのレストランで世界一の料理を作るツッテさんの後ろ姿、世界を旅する男ヴィッレの大きすぎる器、セッション仲間のロビンとモールテンの熱くも素直なギター、そして、木々の囁き。
これらの記憶が内に響き続ける限りは、生きなくても生きられるシステムに飲み込まれることなくやっていけるはずだと信じたい。
もし忘れてしまったら、また行こう。フィンランドに。
というわけで滞在は終了した。
フィンランドに行くにあたってたくさんの人に助けてもらった。
本当に感謝しかない。
よくよく考えればフィンランドに行ってからもたくさんの人に助けてもらった。
でも感謝してばっかりじゃダメだ。
まだその器ではないかもしれないけど、いずれ自分も誰かを助けられたらいい。
おわり