青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

【フィンランド滞在記12】 MUSTILAにて

ジョアキム親子と共にムスティラに行ってきた。

ムスティラは、世界の色々な木々を楽しむことのできる森だ。

 

 

森に入る前に、カフェでキュウリを使ったチョコレートケーキと手作りサルミアッキをいただいた。市販のサルミアッキは吐き出したくなるほど不味かったのに、ここの手作りサルミアッキは癖がないのに深みのある味わいで美味しかった。この世に手作りに勝るものはない。

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ジョアキム親子は子ども用ルートを行くという。僕はカフェの店主おすすめの中級者ルートへ。

歩き始めて10分、地図に従って森の奥へ進んでいたつもりが、何故だか入り口付近の園芸ショップに辿り着く。地図と現実の違いがどの程度なのか掴めない。お店の方に道を尋ね、気をとり直して森へと向かう。

正直なところ、ステイ先近くの天然の森に比べれば、ハイキングコースの用意されたこの森にそこまで心動かされることはないだろうとそんなに期待していなかった。まして、色々な木々を集めたという人工感さえ漂っているわけだから。

ところが、森に足を踏み入れてすぐに、その考えがいかに浅はかなものかを思い知らされた。


ムスティラは、森だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
木々は根を張り、上へ上へと伸び続けている。
どこでどう芽を出そうと、その営みは遠慮することも気取ることもなく、ただ淡々と行われる。
何もかもが生きている。それだけだ。

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コースの中盤に差し掛かった頃、1本の若い木と出会った。
それはたくさんの大木に囲まれながらも、今まさに暖かな木漏れ日に包まれているところだった。自惚れるのもたいがいにしろと笑われるかもしれないが、自分はこの木に呼ばれてフィンランドに来たんだと、見た瞬間にそう感じた。

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木は、長い間ずっと知りたくて仕方がなかったことを教えてくれた。

森はまた、それが偏狭な解釈に捻じ曲がることを防ぐ術を教えてくれた。

 


その後は、憑き物が取れたかのような清々しい気分で、ハイキングを楽しんだ。
以前、霊感のあるマッサージ師に「なんかいっぱい憑いてる」と言われたことがある。全部取れてるといい。


1時間半ほどのハイキングを終え、ジョアキム親子と合流し、夕食用にカフェでキノコのピーラッカとチョコとクッキーを買って、僕らはムスティラを後にした。
何がどうひっくり返っても、森だけは真だと信じたい。また来よう。

 

フィンランドに来てから、少しずつ子どもの頃の感性を取り戻しつつあるように感じる。この地の森と人によってそうさせられているのか、単に異国で暮らすということがそれをもたらしているのか、まだよく分からない。
ただ、それは自分にとって予期しなかったとても嬉しいことであり、とてもありがたいことであり、何より必要としていたことだ。

一方で、どれだけ森や人に魅せられても受け入れられないことはある。
それが善意と分かっていても、いいからほっといてくれと言いたくなることもある。
これまで組み立ててきたものはそう簡単に壊れないし、壊すことがいいこととも限らない。
とりあえずは自然な流れの中で朽ちてこぼれ落ちていくものにだけさよならと言えればいい。
少なくとも、木はそうやって生きている。


滞在も残すところ半分だ。予定では。