青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

小さな絃楽器工房

オークションで落とした中古バイオリンを調整してもらいに楽器屋に行ってきた。

この楽器屋さんとは10年の付き合いになる。

職人のおじさんがひとりで切り盛りしている小さな工房だが、そこがいい。

 

行き始めた頃は、僕自身が楽器のことをよく分かってなかったのもあって、

あれこれ全部お任せでやってもらっていた。

「今回はおまけです」と、無料で調整してくれたこともあった。

おじさんの勘違いで、本当は2500円の弦を、1年近く1200円で買わせてもらってたこともあった。結局、未払い分はおまけしてもらえた。

おじさんの勘違いで、楽器の指板のかなり駒よりの部分の塗料がけっこう落ちてしまったこともあった。僕はそれ以来、ハイポジ好きな玄人と勘違いされるようになった。

 

おじさんは無口だけど、ものすごく人間味のあふれた優しい人だ。

 

何より、効率・利益重視の大手の楽器店では調整依頼が部位ごとに分かれていて、

値段もそれぞれ別料金であることを知ったときに、

「調整」しか選択肢のない、この小さな工房の楽器への愛を強く感じた。

 

 

今日持って行った中古楽器はケースと弓込みで5万円で落としたもので、

値段に対して“鳴り”はどうなのだろうと心配していたのだけれど、

 

おじさんはまじまじと楽器を見つめ、

試し弾きしながら、

「これで5万円はかなり運がいい」と言ってくれた。

 

さらにおじさんはこう付け加えた。

「ス〇キバイオリンの5万じゃ、この音は出ません」

 

いきなり国内天下のス〇キをディスりだす感じが、なんだか愉快だった。

 

 

「調整」を経て、中古楽器は自分のメイン楽器の音に近づいた。 

おそらく「調整」とは、楽器と対話することで職人その人の音を編み込む作業なんだろう。

あるいは、職人の魂を宿らせる、という言い方もできるかもしれない。

 

ただ、このことは部位ごとの断片的な調整によってでは為されえないようにも思う。

そもそも楽器というのは、最初にそれを作った職人によって生み出された「生きた全体」であるのだから、

「全体」と出会わなければ、それと対話することはできない。

 

だから、小さな絃楽器工房の用意する「調整」という一択は、

きわめて理にかなった、楽器に対するひとつの姿勢だと言える。

 

というのはまあ、個人的な見解にすぎないけれど、

僕はこの先もこの工房に楽器を持って行くだろう。

 

「(楽器は)人間と同じです」

と笑顔でつぶやくおじさんの作る音は、とても人間味にあふれていて、生きているから。

 

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 (このNicola Davidovというブルガリア産の楽器は、定価9万円からあるみたいです。少し重量があり、若干不自然に意図的に響かせてる感がありますが、ムラなく安定して鳴ります。初心者の方におすすめです。たぶん。)