青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

「奥」の喪失

以下の文章は、10日前の親知らず(水平埋伏智歯)の抜歯について、 “前歯”の視点から描いたメタな物語です。つまり、抜歯4日後から謎の高熱や下痢に悩まされてつらかったけど、よく考えたらあれは身体全体の再構築プロセスだったのかもしれないという話です。ですので実際の個人・団体とは一切関係ありません。ちなみに、症状は7日後ぐらいから落ち着きはじめました。

 

いつも奥の席にいて、隣の席の真面目な若手社員にだけやたらと大声で文句を言う、あの迷惑な男が会社に来なくなってから4日が経つ。

 

入社から十数年、皆勤で名の知れた彼は、特別に嫌な人間というわけではない。

むしろ周りとはそれなりに上手くやっていた。クセは強いけれど。

 

彼は、どんな状況でも「奥」にいることを好んだ。

会議のときも、食事のときも、社員旅行のときも。

それは彼の性癖というより、彼という人の“意味”だった。

彼は、「奥」にいなくてはならない。いや、「奥」そのものが彼なのだ。

 

彼が来なくなって初めての会議の日、真面目な若手社員は隣の空席に気付いてすらいないかのように、何食わぬ顔で座っていた。

なぜだかそのことは僕の癇に障った。

 

僕の苛立ちが引き金だったのかどうかは覚えていないが、会議はおそろしく炎上した。

全員が訳の分からないことを口走り、見つからない落としどころを必死に探し続けた。

この異常な熱量は会議室を飛び出て社内全体にまで及んだ。

 

何が起きているかは誰にも分からなかった。

 

3日後、僕らはようやく落ち着いた。

静かな若手社員は少しだけ自己主張が強くなっていた。

その一方で、「奥」の空席は依然として存在感を放っていた。

 

 

思えば、炎上は必然であり、必要なことだった。

何故なら、僕らはあの日、「奥」そのものを失ったのだから。

 

 

当然のようにそこにあった“意味”がなくなったとき、安定していたシステムはときに経験したことのない変化を求められる。

それはシステムそのものが生き残るために不可欠なことであり、システムそのものの持つ意思だけが関与できるプロセスなのだろう。

 

僕らはシステムの生命活動の一部であり、自らの意思でそこから出ることはできない。

 

「奥」の彼もまた自ら姿を消したわけではない。

彼は、システムよりもさらに大きな何らかの力によって取り除かれたのだ。

この件に関しては、日を改めて話すことにしよう。

 

 

ところで、彼の記憶は今後も僕ら一人一人の中に残り続けるのだろうか。

 

分からない。

 

ただ一つ言えることは、システムは確かに、「奥」の喪失というイベントを覚えていて、その上での新たなあり方を自己構築していくということだ。

 

システムの柔軟な持続を祈って、僕は今日も「前」に座る。