青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

【自然との対話についての対話2】のどが炎症

正確には、そう言ってるように見えた。

 

だから妄想じゃん。

 

目の前に相手がいなければ生じなかったであろう言葉という意味では妄想ではないと思う。

 

いや、単純な問題として、アゲハチョウは言葉を話さないでしょ?

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最近気が付いたことまとめ

【パソコンは身体によくない】

集中作業によるダメージは致命的。

 

【サインを見逃してはならない】

全体的な散らかり具合よりもヤバい生物が生息してたりしないかが重要(部屋)。

 

【閉所恐怖症は言語的な閉鎖状況でも発動する】

逃げ出せない感が問題。

 

【疼きは共感のサイン】

古傷がなければ気が付けない変化がある。

 

【ピアノの音は救いになる】

弾き手の「謙虚さ」を能動的に表現できる楽器なのかもしれない。

 

耳を澄まして

声の大きさとか挙動とか、あるいは話の分かりやすさとか、あるいは自称第三者が提供してくる諸々の情報とか、どうでもいい。

 

自分の言葉でちゃんと語ってるどうか。これに尽きる。

 

この判断をするのはひとりひとりの聴き手だ。

僕らは誰一人として予測可能な聴衆なんかにはなりえない。

一般化された基準なんて放っておいてかまわない。

 

その分、聴き手は責任を負わなきゃいけない。

誰かのせいにはできない。

ただ、それは本来当たり前のことだ。

 

良くも悪くも耳栓やイヤホンをしがちな世の中、さらに言えば、頼んでもいない音声を勝手に流されるような世の中だから、わけのわからないところにわけのわからない当たり前があったりする。
 
耳かきが必要なのかもしれない。
 
 
でもとにかく、誠意を持ってがんばって語ってる人の声や言葉に、誰かに言われてじゃなくて自分から気が付くことが出来なくなってしまったら、それは凄まじく悲しいことな気がしてならない。