耳を澄まして
声の大きさとか挙動とか、あるいは話の分かりやすさとか、あるいは自称第三者が提供してくる諸々の情報とか、どうでもいい。
自分の言葉でちゃんと語ってるどうか。これに尽きる。
この判断をするのはひとりひとりの聴き手だ。
僕らは誰一人として予測可能な聴衆なんかにはなりえない。
一般化された基準なんて放っておいてかまわない。
その分、聴き手は責任を負わなきゃいけない。
誰かのせいにはできない。
ただ、それは本来当たり前のことだ。
良くも悪くも耳栓やイヤホンをしがちな世の中、さらに言えば、頼んでもいない音声を勝手に流されるような世の中だから、わけのわからないところにわけのわからない当たり前があったりする。
耳かきが必要なのかもしれない。
でもとにかく、誠意を持ってがんばって語ってる人の声や言葉に、誰かに言われてじゃなくて自分から気が付くことが出来なくなってしまったら、それは凄まじく悲しいことな気がしてならない。
最近気が付いたことまとめ
【忙しさは降ってくるものと思いがちだが、実際には自分で選んだ結果だ】
選んでないつもりでも選んでる。
【受け入れないことが柔軟に生きることを意味するときもある】
吸い過ぎたら破裂する。
【視点というのは可変的で不安定なものだ】
何事もたまたまそう見えてるだけだとしたら?
【真面目で丁寧な仕事もときには必要】
奇をてらわず淡々とこなし、爪は最後まで隠し持つ。
【トカゲの王国はヘビに支配される】
上には上がいる。