青い梟の輪郭

感じたことを括り直すための内的な語りや対話です。

【カラマーゾフの兄弟に学ぶ ①】 「成長」なんてありえない。

今なお色褪せることのない、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』と、ドストエフスキー研究から独自の対話論を描き出したミハイル・バフチンの『ドストエフスキー詩学』。勉強の一環として、両者への学びを踏まえた対話をしてみることにした。この対話はいつまで続くか分からない。とりあえずイワンらしき人物とアリョーシャらしき人物に任せてみたいと思うので。

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FF15をプレイして

シリーズは6から13まで(11を除く)やってて、信者とまではいかないけど、好きは好きで、とても楽しみにしていた。

でも20時間ほどやってみて、これはおもしろくないと悟ってしまった。

RPGが好きな人間のひとりとして、行き場のないこの虚しい気持ちを、感想文として残しておくことにした。

 

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看板のない世界への一歩

スナフキンは看板を嫌う。

現実としての「意味」が固定されるのが嫌なんだろうと解釈できる。

たとえその「意味」が未来の生存を保障するものであったとしても。

「意味」は絶えず変化に晒されていて、未来はいつだって予測できない。

スナフキンが好むのはきっとそういう世界だ。

 

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セールスとムーミンママ

先日、しつこい訪問販売の相手をした。

そのおじさんはなかなか本性を見せなかった。

豊富な定型文であたかも今ここで自ずと生まれてるような会話を装い続けた。

でも、お互い最後は結局、人だよ。 

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人生

久々に研究会に参加して思ったが、自分は今何も研究していないし、研究しようとしてない。

結果的に、状況的に勉強してるだけになってしまっている。

目を輝かせて学びに取り組んでる人達を初めて眩しいと思った。

背後には、フィンランドでジョアキムやディドリックに会ったことがじわじわと効いてきてるという事実がある。

最近、あんな暮らしがしたいと本気で思う。

研究という形でしか大成しないであろうやりたいことは確かにあるけども、その独りよがりな使命感を燃やして近所迷惑な火だるまで終わるより、自然の美しさと厳しさを噛み締めながら日々を確かに生きる日々を送りたい。

しかし、日本でそんなことどうすりゃできるのかよく分からない。

生きなくても生きられる状況の中で生きることは、ただ生きることより遥かに難しい。

どうすればいいんだろう。